思索録

頭からこぼれ落ちてなくなってしまう前に。

行動は自己責任でお願いいたします(※当方は責任を負いかねます)

 

 

妙なタイトルをつけてみたかった。

 


さて。わたし、「誰かのため」みたいな言い方をする人はおしなべて信用できない。
そういうこと言いだす人にはすぐに心を閉ざしてしまいます。

 

この前ね、好きな小説のシリーズ読んでたら、大好きだった主人公が突然、言いやがったんですよ。

 


「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」って。

 


うっわ、その言葉、わたし苦手中の苦手~。

ということでそのシリーズはそれ以降読まなくなりました。ちゃんちゃん。

 

 

 


さあ、なぜここまで「誰かのため」を毛嫌いしてるのか。

それは、人間の行動って全部「自分のため」だと思っているからです。

 


えっ、じゃあ他人に優しくすることとか、それこそボランティアとか、プレゼントとかって何なの?

って感じかとは思うけれど、

 

 

たとえば、

困ってるのを見捨てる自分が許せないから人を助けるし、

大事な人には泣くよりも笑っていてほしいから親切にするし、

誰かにプレゼントを贈るのとかは、相手の喜ぶ顔が贈ったもの以上のプレゼントになるから。

 


…だからね、他人に利益をもたらす行為を、自分のためと思える人を「優しい」と呼ぶんだと思うの。

愛とかそういうさ、大勢の人が好む概念もたぶん、ホントは綺麗なものではない。エゴとエゴのぶつかり合いと結びつき。

 

 

「誰かのため」「あなたのため」は責任転嫁でしかない。

 

それだけならまだ救いようはあるけど、自分が勝手にやったことの責任をそういう聞こえのいい言葉で擦り付けて勝手に病んだり怒ったりってそれはさ、違うじゃない。

 

 

わたしと君とあなたとお前は別の人間だから、どんなに近くとも完全に分かり合えることはないし、それが当たり前です。それでいい。

 

 

他人が何に対して喜ぶのかとか、何を望んでいるのかとか、ホントのところは分からない。

それでもわたしたちは、大事な人の笑顔を見たくて、自分を許したくて、分からないなりに不器用に頑張っちゃったりするんですよね。

 


そんなエゴに満ちた中で、誰かの「自分のため」が「わたし」にとって救いになったり、喜びをもたらしてくれたとしたら。

 

それは「あなたのため」と言われて為された行為より嬉しい、じゃない?

 

 

さらば。

 

いさ